中学の頃はそれなりに、女子の事を好きになったり、告白してみたり、そういったことも一通りやったことはあったわけで、石田とプール開きまだかなー、なんて馬鹿話をしていた頃は、笹田、いや、瞳に対する気持ちも、そんな感じの、あいついいよなー、にちょっと毛が生えた程度という感じだった、と振り返ってみればそう思う。
 そんなわけで、好きだなんだと言ってもさほど思い入れが無かったせいもあって、席が隣同士でも、ラッキーと思うことはあっても、気持ちが落ち着かなくてとても隣にいられません、なんて思うほどではなかった。そう、あの日までは。

 その日は待ちに待ったプール開きということで、2時間目の体育の授業の時間は、全校一番乗りで水泳の授業、という事になった。最初だし今日はずっと遊んでていいぞー、という先生のお達しがあったので、俺たちは鬼ごっこやらビーチバレーボールのぶつけ合いやらをして遊んでいた。それも後半になってくるとだれてくるわけで、今度はプールサイドで寝っ転がって梅雨の晴れ間の日差しを浴びてみたり(これをやっていたのが石田で、それが妙に格好つけた感じだったのをよく覚えている)、プールの隅の方で壁にもたれ掛かってぼーっとしてみたりするやつがちょこちょこと出てきた。俺も同じような物で、島本と一緒にプール横にもたれかかり、ぼーっとしていたのだった。
「なぁ飯島、あれって笹田じゃね?」
「ん?」
 島本に言われて見てみると、一番奥のコースに平泳ぎで泳いでいる女子が1人。よく見れば確かに瞳、のようにも見える。
「ほぉ、よく分かったな」
「まぁ、な」
 なるほど、1往復ごとにターンせずに立ち上がってくるその人はまさに瞳だ。眼鏡はかけていないけど、確かに分かる。そう気づいた俺はそのまま、瞳が泳ぐ姿をなんとなく見ていた。随分と綺麗なフォームだな、と思ったのをよく覚えている。
「なぁ?」
「ん?」
 3分かそのくらい経った頃だろうか、ふと島本が俺に尋ねてきた。
「笹田ってさ、どうよ?」
「どうよって、どんな感じに?」
「いやなんつーか、悪くないんじゃね? という感じで」
「あぁ、まぁ、それは、確かにな」
「スタイルいいし」
「普段は眼鏡かけてるけどな」
「眼鏡かけてると駄目だったりするか?」
「んー、まぁ駄目というわけでも。島本は?」
「あぁ……、俺もそんな感じだね」
「頭もいいしな。1組の塚本なんて胸はでけぇけど、顔はいまいちだし、何より単なるバカ女だもんな」
「塚本って、あぁ、あのこの前石田が、Dはある、って言ってたやつか」
「そうそう。そういう意味では徳見なんかは悪くないな。顔もいいし、何よりバカじゃない」
「でも徳見はちょっと、性格がきつすぎる気がするんだよねぇ」
「あー、まぁな」
「そういう意味だと、まぁ笹田はバランスが取れてるのかもな」
「いわゆる素直クール、ってやつ?」
「何それ、まぁ、なんとなく意味は分かるけど」
 そして沈黙。俺は、まぁ多分島本もだったのだろうと思うのだが、なんとなくお互い、相手の腹を探るような感じになっていた。
『……彼氏いるのかな』
「うわっ」
「ちょ、島本、なにハモってんのうわキモっ!」
「お前が乗っかってきたんだろ?」
「いやお前が、いやいいや、たまたま被ったという事で、な」
「あ、あぁ」
 再び沈黙、そして腹の探り合い。ていうか、なにゆえ島本とこんなことを。
「よーしそろそろ時間だ、今日は女子から先に上がれー」
 と、そろそろ終業時刻ということで、体育の先生の声が。遊んでた女子がざばざばとプールから上がっていく中、瞳はちょうどプールの一番向こうまで泳いでから、手すりを上っていったのだが、
「……」
「……」
 おそらく最初は、泳いでる姿を眺めているのと同じように、なんとなく手すりを上っていく姿を見ていた、のだと思う。だが、いつの間にか俺は、瞳の姿に完全に目を奪われていた。キャップを取ったのだろう、水にぬれて背中に髪が張り付いていて、また初めて気づいたが、意外に"豊かな"スタイルをしていたり、あるいは体から足を伝って、水滴が滑り落ちていく様が妙に色っぽい感じだったり。
「んじゃ次男子上がれー、道具はきちんと片付けろよー。」
 そして驚いた事には、自分がそうやって瞳の姿に釘付けになっているのとまったく同じように、隣にいた島本も、瞳に目を奪われていたようなのだ。先生の声がかかって、はっとして思わず島本の方を見たとき、偶然にも目まであってしまった島本の顔は、多分俺と同じような表情をしていた、はずだ。
「あ」
「え、えーと……」
「……、とりあえず、上がるか」
「あ、あぁ」
 俺たちはそう言いながら、ざばりざばりと妙にぎこちなくプールから上がり、整理体操をする男子の固まりの方へ歩いて行った。いつもなら、どうでもいいことを話しながら歩くんだろうが、その時は何も話さず、しかし不思議と2人一緒に歩いた。

 更衣室で着替えた後、教室へ戻ると、先に着替え終わったのか、瞳が自分の席で女子としゃべっていた。
「じまゆーおかえりー」
「あいよ……、お、おお」
「どうしたの?」
「いや、眼鏡は?」
「今拭いてるんだけど?」
「あ、そっか」
 振り返ってこっちを見た瞳が、あろうことか眼鏡をかけていなかったものだから、俺は思わずプールでの姿を思い出してしまった。
「えー、それって駅前のあのお店?」
 俺に挨拶すると、再び瞳は女子と話し始めた。丁度俺とは反対側に話し相手がいる関係で、瞳の無造作に束ねた髪がこちらを向いてゆれている訳で、あぁ、今まで気づかなかったけど、いい匂いするんだな、などと変なことを思い始めてしまい、俺は思わず
「あー、ジュース買ってくるわ」
「あ、そう」
「おお」
 と、しなくてもいい宣言をして、席を立って逃げるように廊下へと出ていってしまった。

 食堂で、いつもは飲まないブラックコーヒーを一気に飲み干しても、俺の頭の中からは、水泳のときの光景が離れなかった。そんな状態では教室に戻る事もできず、結局次の授業はサボってしまった。
 まぁ適当に言い訳しときゃいいや、と、さらに次の授業が始まる前に教室に戻ろうとすると、なぜか反対側から島本が歩いてきた。
「あれ? 飯島授業は?」
「あー、サボった。なんか腹痛くてさ」
「あ、そ、そうか、いや俺も腹痛くてさ、ちょっと休んでた」
「おぉ、そっか、そっか」
「飯島も、だよな?」
「あ? あぁそうだよ、島本と同じ、そう同じ」
 島本が歩いてきた方向は、教室が1つあるだけで、後は外階段があるだけ。だから休んでいたのは事実でも、腹が痛くて、というのは多分違うだろう。そう、俺と同じように。
「ところで島本さ、水泳の授業の事なんだけど」
「ん? どうかしたか?」
「あ、いや、えーと、寒かったよなぁ、って」
「あ、ああそれな、そうだな、まだ寒かったよな」
「そうだそうだ寒かった、てことでいいな?」
「あぁ勿論、勿論な」
 妙にぎこちない会話だったが、それでも、お互い考えてる事を探るには十分だった。

 要するにあの瞬間、俺と島本は同時に瞳を――女として――意識し、そして、好きになったのだ。