――9月5日
あれから数日が経った。
帰りのバスの中、俺はウォークマンで音楽を聞いていた。隣に座っている奈緒美は、と言うと、バスに乗って席に座った途端に眠ってしまい、今は窓に体を預けて、呼吸に合わせて少し胸が動くのみ。まさか無理に起こすわけにも行かないしなぁ……というわけで、一人寂しく音楽を聞いていたのだ。
おかしいもんだ。奈緒美と再会するまでは別にどうって事はなかったのに、2人で行き帰りを共にするようになると、こうして1人で音楽を聴いてると、なんだか少し物足りなくなる。これはやはり……。
2 「One and One at Night」
2年ぶりの再開の後、喫茶店での(少々強引な)キスのおかげか、俺と奈緒美の事は割合早く噂となって広まった。最初は「割と地味なあの櫻井が転校生ゲット!」という感じだったのだが、同じ中学だった奴が、いやいや前も付き合っていたよ、とふれて回ったおかげで若干補正され、
「いやーしかし、こんなかわいい彼女がわざわざ同じ学校まで追いかけてくる、ってのは羨ましいですなぁ櫻井さん!」
なんて事を言われる羽目になったのだ。言っているのは前の席に座っている倉田。そしてわざわざ噂を補正して回ったのもこの倉田だ。
「ていうかだな、あの3年のときに付き合ってた高木、あの子とはどうなったのよ?」
「きちんと別れたよ。ったく、わざわざ昔の話を掘り返さなくてもいいだろ?」
「へー、高木さんって言うんだ。どんな子だったの?」
まーた余計なことを……って
「奈緒美っ!?」
「いいじゃない、昔の話なら。それともまさか、まだ気になるの?」
「いやそんなことはないけどさ、な?」
「確か、携帯の中になら写真入ってたと思うけど、見る?」
「あ、見たいな~」
「待てって、な、ほらもうすぐ授業始まるし、ほら倉田教科書とってこいよほら!」
とまぁ、そんな感じで面倒な事も増えた気がするが、奈緒美が戻ってきたことに比べれば、大した事ではないか、とも思うのだった。
ただそれでも不満はあるわけで、具体的に言うと……あれから1週間経つのに、まだその……Hをしていない、ということで。
あぁいう話をした手前、今日あたりどうですかなんて事をいえるはずもなく、もちろん無理に、というつもりはまったくないのだけれど、それでもやはり健康な男子高校生なわけで、したいかしたくないかと言われればやっぱりしたいわけで。
しかし俺から言い出してやっぱりそれが目的か、なんて思われたくはないし、さてどうしたもんかなぁ……などと、ここ1週間の間俺は、そのことを考えたり考えなかったり考えたり、という日々を送っていた。
そんなこんなで今日は金曜日。
「そういえば、うちの学校ってテストの順位とかって、発表されるんだっけ?」
「されるよ。確か追試組の追試が終わった後だから……、週明けか。合計点数で上から50番目まで」
「ふーん……」
横に座っていた奈緒美は少し前に起きて、今日返された分の結果を見ている。
「奈緒美は編入試験があったから実力テストは無いかと思ってたけど……、結果は?」
「んー、悪くはない、って感じかな。直樹は?」
「ま、いつもどおりかな」
「どれどれ……うわ、これでいつも通り?」
「だよ?」
「え~、なんかずるい」
「そう言われてもなぁ……」
テストの結果は5科目で合計465点。平然としているふりはしたが、まぁ、いろいろとがんばっていたわけで。
「え、じゃぁ校内順位とかも、結構上位だったりするわけ?」
「あー、まぁ、2位とか5位とか3位とか」
「うーん……」
答えを聞いて驚くかと思いきや、なにやら唸りだした奈緒美。
「中学の頃はそんなキャラじゃなかったのになぁ……。私がいない間に何があったの?」
「まぁ、色々とあったんだよ。寂しさを紛らわそうと思って勉強に打ち込んでみたりとかな」
「他の女の子と付き合ってたのもその一環?」
「いやそれはね……って電話だ」
内ポケットに入れた携帯が震えている。これは着信……親父だ。
「もしもし、今バスの中なんだけど」
『あー、そりゃすまなんだな。いや、家のほうに電話したら留守だったもんでな。』
「んだったらまだ帰宅中だって分かるだろ。んで、何か用?」
『えっとな、今日ちょっと父ちゃんな、朔原に付き添って泊りがけで取材に行ってくるから。』
「は?」
朔原、というのは親父――出版社で編集の仕事をしている――が担当している作家の名前だ。確か大学のころの後輩だった、という話だったか。
『いやな、なんか古い温泉宿が伊豆の方にあって、そこに泊まってみたいとか言い出したわけよ。で取材で行くとなると俺も付き合わないといけないからさ。』
「いや、それはわかるけどさ、おふくろ帰ってくるの明後日だよ?」
『あー、まぁ1日くらい何とかなるだろ?』
「何とかって、まぁ何とかならないことはないけどさ」
俺のおふくろは、これまた親父と同じ出版社で編集を、こちらはファッション雑誌の編集部でやっている。ここ数日は取材でイタリアの……確かミラノへ行っているはずだ。
『なら大丈夫だな。まそう言うことだから、飯は適当に買って済ませといてくれ、帰ったら清算するから。それじゃ。』
「おい、ちょっ……、切れたよ」
言いたい事だけ言ってしまうと、親父はあっさりと電話を切った。全く…いつもこんな感じだ。前は「ちょっと5日くらい無人島に行ってくる」なんて言い出したこともある。あの時も確か、出発する日の朝になっていきなり言われたはずだ。
「どうしたの?」
「あー、親父がなんか、泊りがけで取材にいってくるから今日はよろしく、だとさ。まったく、明日は休みだからまぁいいけど……」
「ふーん。てことは今晩はご飯とかは?」
「あぁ、まぁコンビニで何か買って済ませるかな。金は無い事もないし」
「それだったら、今日は私が作ってあげようか?」
「うーん……何!?」
「あ、そうだ、ついでに直樹の家に泊まっちゃおうかな、ちょうどいい機会だし」
なんですとー!
一旦家に帰って準備してからまた来るね、ということで、奈緒美は家へ帰ってしまった。飯を作るだけなら材料はうちのを使えばいいし、準備って事はやっぱり泊まる気だよなぁ、泊まるって事は…そのー、期待しちゃっていいんだろうか、などと色々と考えていると。
「おまたせ~、色々用意してたら荷物いっぱいになっちゃった」
と、スーツケースを抱えて、私服に着替えた奈緒美が到着。
「でかいな……、言ってくれればバス停まで迎えに行ったのに」
「うーん、そんなに距離無いから大丈夫かな、って思ったんだけど、荷物抱えてだとやっぱりきついね」
「だから言わんこっちゃ……本当に重いな。何がはいってんのこれ?」
よいしょ、と抱えた奈緒美のスーツケースは、猫でも入ってるんじゃないかという位の重さだった。そもそも1泊2日にスーツケース、というのもどうかと思うが。
「うーん、着替えとか?」
「いや、何か軽く3泊4日はできそうな感じなんだが」
「気にしない気にしない。荷物は……直樹の部屋に持って行ってもらえる? 食材の確認とかしちゃいたいし」
「ん、いいよ」
「それにしても……、変わってないね」
「そう言えば、うちに来るのは2年ぶり、なんだよな」
「そうだね……」
あの喧嘩した日から2年。2年前もやっぱり親は2人ともいなくて、俺と奈緒美は……と、昔のことを思い出してると、思わず奈緒美と目が。
「あ、ああ、それじゃ荷物上げとくから」
「あ、お願い、それじゃ私はちょっと台所借りるわね、ええ」
もしや2人とも同じことを考えてたのか。ちょっとうれしいけど……うーん、やっぱり恥ずかしいもんだな、久しぶりだと。
それじゃ作るわよー、と意気込んで奈緒美が台所に立って1時間。手伝おうか、という俺の申し出を華麗にパスして(こういうときは黙って座ってるものよ、だそうだ)、奈緒美が作り上げたのは
「ほぉー…、上手いもんだねぇ」
ハンバーグにシーザーサラダにコーンポタージュ。ご飯…ではなくガーリックトーストか。ぱっと見はお手軽なチョイスだが…シーザーサラダの上のこのクルトンは、おぉ手作りだ!
「そりゃ、ほぼ毎日私が作ってますから」
「奈緒美のお母さんは……今もほぼパリに?」
「そうだね、たまに帰ってくるけど」
奈緒美の母親はとあるファッションブランドの社長兼デザイナーで、いつもはパリに住んで、日本へはたまに仕事で帰ってくるだけなのだそうだ。その母親は実は継母、とは言っても奈緒美との仲は別段悪くないそうだが、奈緒美が8歳の頃に、奈緒美の父親と再婚したのだそうで。
「それじゃまぁ、頂きますか」
「どうぞ召し上がれ。って、私も食べるんだけどね」
テーブルに座り、早速ハンバーグにナイフを入れる、と……じわぁ、と肉汁が。
「……おぉ、さすがだ」
「でしょ? 割と自信作」
「さすがだなぁ……」
「小さい頃から料理してるからね。お父さんはほとんど料理できないし、外食ばかりってわけにも行かないし」
「なるほどねぇ…………ん?!」
そういえば、今日は奈緒美のお父さんは!?
「あ、もしかして気付いた?」
「えーと、奈緒美のお父様には……?」
「お泊りに行くー、って言ってるよ」
「『友達の家に』?」
「ううん直樹の家に」
「あ゛ーっ!」
なんですとー!
「あ、電話…お父さんからだ」
あ゛ーっ!!!!
「もしもしー、うん…、うん、あ、今いるけど代わる? …おっけー、それじゃちょっと待ってて。直樹、お父さんが話しがしたいって」
無理無理無理無理!!!! ……でも、取らない訳には行かないよなぁ、これは。
「……あー、もしもし、櫻井直樹です」
『あぁ直樹君か、初めまして、斉藤由紀夫です。』
「あーあのーこちらこそ初めましていつもお世話になっておりますですはい」
『いやいや、こちらこそ娘が世話になってるようで。まぁこれからも色々とあるとは思うけども、娘の事をよろしく頼むよ。』
「あぁぁはい、いえあのこちらこそよろしくおねがいいたしますはい! はい! はいでは失礼いたしますまたあの機会がありましたらよろしくお願いします!」
『こちらこそ。それでは娘によろしく。』
「は、はい!」
それだけ言うと電話は切れてしまった。と、いうか、なんという応答だ俺は。
「……どうしたの?」
「どうしたもこうしたも! ……いや、あのー、ね、出来ればあらかじめ言っておいて欲しかったんだけども、俺もその、心の準備とかがあるから、ほら」
「いいんじゃない? 素の直樹でも。私が好きな人なんだし」
「いやま……やっぱ、彼女のお父さんへのファーストインプレッションは、こうきちっとしたいなぁと思う訳よ、男として」
「ふーん。そういえば、お父さん何だって?」
「ん?」
えーっと確か……
「娘の事をよろしく頼む…………え゛ーっ!」
「どういう意味かしらね~?」
まぁそんなこんなで夕食を食べ終わり、だらだらと映画を見たりして過ごしていると、時刻は11時過ぎ。そろそろお風呂に入って寝ますか、という事になり、そしてここは俺の部屋。
「……うーむ」
先にお風呂に入り、寝巻きのジャージに着替えたまではいいのだが。
「やっぱり……このベッドで寝るんだよなぁ」
昔は寝相が余りよくなかった、というよりかなり悪かったお陰で、俺の部屋にはダブルサイズのベッドが置いてあるわけで。今では人並み――だと思う、少なくとも朝起きると床の上、という事はなくなった――の寝方になったお陰で、もう1人は寝るスペースがあるわけだが。
「……それって、いい、ってことなんだろうかやっぱ……」
客間、もまぁ一応あるけど、そっちで寝るなら客間に荷物を置くよなぁ。てことは……
「おまたせー」
と、ドアを開けた奈緒美は……大き目のTシャツにハーフパンツ。
「……何よ?」
「いや、なんつーか、もうちょっとこう……いう感じの服にしないの?」
「だって楽なんだもーん」
「そりゃーまぁ、そうだろうけども……」
などと話しながら、バスタオルをスーツケースの上に置き、奈緒美は……
「それじゃまぁ、寝ますか」
「ん、あ、あぁ」
などと先にベッドの中へもぐりこんでしまうものだから、俺もつられてベッドの中へ。枕元のリモコンで電灯を消す。
「なぁ、奈緒美」
「何?」
「……その、何だ」
なんと続けよう? 思いつかないものだから、俺は何も言わず、奈緒美の顔に自分の顔を近づけて……
「ブィーン!」
『うぁっ!』
不意に枕元に置いてあった携帯電話が震えだした物だから、思わず飛びのいてしまった。
「あっ、あ、私のだ……はい、もしもし、あぁ、里見?」
どうやら電話の主は相原のようだ。全く、なんというバッドタイミング。
「うん、うん、えっと……多分大丈夫。うん。私立競技場に……10時ね、おっけー、それじゃね」
電話はあっさり終わったようだ。
「明日、サッカー部の試合を一緒に見に行かない? だって。OKしちゃったけど、直樹も行く?」
「あー、あぁ、いいけど。10時?」
「うん。9時ちょっと前に家を出れば……間に合うかな」
「そうだな……うん、間に合う」
と言ったまま、暗い部屋の中、ベッドに座った状態で、思わずお互い見つめ合ってしまった。
「……寝ようか、明日は早くなりそうだし」
「そうだね」
一気に冷静になってしまったというか、気恥ずかしくなってしまったというか。それじゃぁ仕切りなおしで、何て感じにはならず、俺たちは再びベッドへもぐりこみ、そのまま寝てしまった。